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電信柱を無くす取り組みについて

東京では五輪に向けて、景観を良くしようと電信柱を埋めていってるらしい。各地でもなんだかんだ邪魔だし空を狭く感じたりで埋めようとしてるところも少なくない。これから線を引く分には埋めればいいが、もうある分を埋めるといつ埋め終わるんだと思う。安物買いの銭失いじゃないけど、イージーさを優先していずれ埋めようってのは結果的に時間もロスしている。まあ、戦後の状況もあってか仕方が無かったとは思う。


おれが日常的に感じてる一番の電柱のうざさは糞害である。駐車場の横に電柱があって、その電線上に鳥がよくとまる。何回車を汚されたか。その辺の道を歩いてても電線の下は警戒しないといつ落とされるかわからない。頭上の隙は武道の達人でもそうそう克服できるものではない。

しかし、一方で電線のある風景に郷愁を感じたりもする。植え付けられたイメージの所為もあるんだろうけど、田舎のまっすぐな道に整然と並ぶ電柱はなかなかいい。そんな風景で育った訳でもないし、たいして見たことも無いのに懐かしいってどうかしてる。ただ、そのくらい身近な存在であったことは間違いない。要るか要らないかは別にして。

加えて、意外と電線くらいは気にならない人も多く、無くなってても言われたらああそうかくらいのことも多い。そんな中わざわざ時間と金をかけてこだわる必要が本当にあるのかと。まあないだろうね。京都みたいなところが風情を気にしてやるのはまだしも、雑然とした街が多少電柱が無いくらいなんでもないような気がする。

それに、なくすどうのっていうか、俺が住むところを選ぶなら無い方を選ぶから環境が変化するのを待つ必要がそうないと思うんだよね。オリンピックがあるから変えるっていうか、電柱無い都市でやりゃあ良かったのにと思うのは俺だけだろう。うんきっとそうだ。

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